認知症寝たきり患者の本当の姿
認知症寝たきり患者の本当の姿
https://news.yahoo.co.jp/articles/cdc94f67b5fe743ae447f8319e715944a1e293f5?page=1
(武蔵国分寺公園クリニック名誉院長の名郷直樹氏へのインタビュー記事; PRESIDNT Online 2026.6.12)
■ 本当に「画期的な薬」なのか 認知症治療薬「レカネマブ」に300万円の価値はない
アルツハイマー型認知症の新しい治療薬が臨床の場で使われるようになった。2023年9月に承認された「レカネマブ」と、続いて24年11月に保険適用された「ドナネマブ」だ。
両薬剤とも、認知症の原因物質に直接作用する初めての抗体薬として注目された。
具体的には、脳内にたまったアミロイドβという蛋白質を除去して、病気の進行を遅らせる効果が期待されている。
■「脳浮腫と脳出血が高頻度で起きる」研究結果も
レカネマブなど抗体薬を服用した群と、プラセボ(偽薬)群に分けたランダム化比較試験において、1~3点の差がつけば、一応は患者さんを相手にした臨床の場で有用との目安がある。
ところが、この論文ではわずか0.32点の差しかなかった。
実際、医者が診察室で21点の人と23点の人を診ても、ちがいなど全然わかりません。10点と20点の差であれば、問診をしたり、スマホやリモコンを操作させたりして、ようやく判断することができます。
臨床的な効果は示されない一方で、副作用のほうははっきりしていて、臨床試験で脳浮腫と脳出血が高い頻度で起きている。
先の論文でも、画像上の検討で、9人に投与すると1人の脳浮腫、13人に投与すると1人の脳出血が発見され、症状を引き起こす脳浮腫では86人に投与すると1人に起こると報告されている。
価格面を見ても、レカネマブとドナネマブの患者さんの負担額は年間約300万円もかかる。
一般的な感覚で言えば、公費を投入して使うべき薬ではないと言わざるを得ない。
■ 認知症の進行を遅らせるだけで、改善はしない
現在ある認知症の治療薬は、効果があったとしても進行を先送りするだけでしかない。
現時点では認知症を予防したり、改善したりする薬は開発されていない。
例えば、高血圧の治療では合併症である脳卒中や心不全が起きるのを先送りできれば、その分、元気な期間を長くする効果がある。
しかしながら、認知症の先送りは徐々に物忘れが進行する苦しい時間を長引かせるだけだ。患者さんにとっては多大なストレスが増えるだけだから、理不尽な治療である考えることもできる。
本人は「ああ、また忘れるようになってきた」と苦しみ、家族など周囲の人々も「私のこともだんだんわからなくなってきた」とつらい思いをする。
認知症が進行していく現在の苦しみに対して、薬では解決できない。
そこで何が患者さんや家族の希望につながるかというと、忘れても大丈夫、認知症のままでも楽しく生きられるという方向性を目指していくしかない。
「ぼけをことほぐ」社会を、本人と家族、医療者が見つけ出していくことが何より肝要だ。
■ 避けられない老いを避けて何になるのか
認知症治療の現在地を検証することは、「人間にとって老いとは何か」を見つめ直すことにほかならない。
人生において老化とは本来、苦しいものだ。
特に認知機能の低下や、活動力の低下はつらく、長生きするということは苦しみを伴うことなのだ。やはり、誰しも病気は少しでも先送りしたい、介護が必要になる時期は遠ざけたいというのが本音だろう。
しかし、どんなに先送りしてもやがて来る下り坂、死とどう向き合うか。
その現実を直視することが大切なのだ。
いま、アンチエイジングが声高に叫ばれているが、アンチエイジングもあくまで加齢や老化による変化の速度を遅くするに過ぎず、これもまた「老化の先送り」でしかない。
避けられない老いをどこまでも避けようとし、最終的な死までは面倒を見ないという無責任な思想が底流にあると思う。
その背景には、認知症が進行したら大変だ、ぼけたり、寝たきりになったりしたら死んだのも同然だ、という考え方があるのではないだろうか。
人は、日ごろの健康管理や病気の予防に失敗したから介護が必要になるのではない。
病気の予防、先送りに成功し、長生きするようになったため、介護が必要になったのだ。
人工呼吸、胃瘻や経管栄養などの方法で延命を可能にした医学の進歩は、老いの苦しみを長引かせる面もある。
だから、ほとんどのケースで元気なまま亡くなる「ピンピンコロリ」など望むべくもなく、衰える中で亡くなる「ヨボヨボコロリ」のほうがいっそうリアルだ。
流行りの「健康寿命」がどんなに延びたとしても、ほとんどの人は遅かれ早かれ寝たきりになって死ぬのだ。
■ 「安楽死」が生まれた本当の背景
ピンピンコロリが理想的な死であるかのように語られる風潮があるが、本当は「寝たきり」よりはマシ、「寝たきり」に対する差別意識に過ぎないのではないだろうか。
オランダやベルギーでは認知症の人に対する安楽死を合法化しているが、本人も周囲もそのような決断を迫られる状況じたい苦しいのではないか、としか思えない。
安楽死もそれを望むというより、選択肢がなくなって追い込まれた結果ではないか。
本人や家族、周囲の介護者が納得できるような幸せな寝たきりがあるのであれば、誰も安楽死など考えないと思う。
私は、安楽死が広く受け容れられる社会よりは、寝たきりに寛容な社会のほうが住みやすい社会にちがいないと考えている。
そこで、私は安楽死の対語として「安楽寝たきり」という言葉を提唱している。
誰もが心置きなく「安楽寝たきり」になるためには、寝たきりになった時に周囲への迷惑や影響をお互いさまと考え、特定の人に負担が集中しないようにすることが必須になる。
そうはいっても、支援する家族の側からすれば大きな負担になる。
介護殺人のような深刻な事件は「寝たきり」の患者さんを抱える家族にとっては身近な問題です。
■「母に早く死んでほしいと思うことがありました」
以前、認知症で毎晩せん妄と被害妄想を起こしていた母親を自宅で看取った娘さんが、外来でこう話してくれたことがあった。
「介護をしながら母に早く死んでほしいと思うことがあった。でも、スタッフの方に電話した時に『思うだけならいくら思っても構いません。ただし、本当に手をかけそうになったら、手をかけずに電話をかけて下さい』と言われ、本当に救われました」と。
そんな状況になれば、誰でも実の親ですら死んでほしいと思うものだ。
ほとんどの人は、そんなことを考えても、口に出してもいけないと思い込んでいる。
死を避けなければいけないという思いが強過ぎて、無理を重ねて疲弊する。
本当に一生懸命に介護する人の限界の中で、介護殺人は起きるのだ。
だが、親に死んでほしいなんて思うことはよくあること。
そんな本音をポロリと口に出せれば、それが解決の糸口につながる。
「安楽寝たきり」を実現するためには、周囲も「安楽」でなくてはならないのだ。
核家族化が進んだ現代では、家族の介護力は著しく低下している。
結婚する人も減って、一人の子どもが、高齢で認知症の父母を介護しているという現実がある。訪問診療の現場では、自宅で最期を迎えるのがよいという大きな流れがあるが、これは介護費用を減らしたい国の方針に乗せられているだけかもしれない。
家族の犠牲を避けるためには、在宅こそが最善という呪縛からも解き放たれる必要がある。
■ 認知症は“軽度”がいちばん大変
施設というと、まるで監獄に入れるかのように思い込んでいる人が少なくない。
だが、「施設はダメ」というのは偏見に過ぎない。
家族全体が安楽でいられるように、介護の専門職の支援を求めることも選択肢の一つだ。
いまの特別養護老人ホームのスタッフは技術的に熟練しているから、着替えやトイレ、入浴にしても、ベッドから車椅子への移動にしても、本当に上手にやってくれる。
仕事だから、家族のように怒らなければならない理由もなく、患者さん本人にとっても楽だし、快適なはずだ。
認知症は軽度の人のほうが、徘徊して行方がわからなくなったり、夜間にせん妄で動き回ったりするので圧倒的に大変だ。
しかし、認知症が行き着くところまで進行してしまえば、あまり動けなくなるので周囲の介護負担が減る傾向にある。
患者さん自身も意外と安定した状態になって、閉じられた独自の世界を生きるようになる。
訪問診療でよく経験するのは、認知症になったおじいさんやおばあさんが、すでに配偶者が亡くなっていることがわからなくなり、いつまでたっても一緒に暮らしているように生活していることだ。
「きょう、じいさんが見えんけどどこに行ったかな」という話を訪問に行くたびに聞かされることがあります。その時に家族が「とっくに死んだでしょう!」なんて言うと、患者さんは混乱してしまう。
「コンビニでも行ったんじゃないかな」と話を合わせてあげると、延々とハッピーな会話が続くのだ。
■ 大切なのは周囲も「安楽」で過ごすこと
ぼけるという状態にもメリットがあって、死に対する恐怖が消える、配偶者の死を悲しまずに済む、ということが少なくないようだ。
また、多くの認知症患者は身体的な苦痛を感じにくいという特徴がある。
心不全で酸素飽和度がかなり下がっていてもまったく苦しさを訴えずにニコニコしている人もいるし、末期のがんでも認知症の人はあまり痛がらない。
寝たきりや死が近づいている状況では、認知症は一種のギフトのように感じられるほどだ。
認知症という通常は希望とは考えにくい状態の中にも、希望はある。
朝起きてベッドから起き上がるための介助、洗顔、食事、排泄の支援など、いま必要なことだけにフォーカスしていくことが大切だ。
もちろん、家族だけでは大変だから、訪問看護師やヘルパーにバックアップしてもらえばいい。患者さんはだんだんと衰えていく中で、いまが快適だったら、この快適さの中で明日死んでもいいと思えるかもしれまない。
「安楽寝たきり」の行きつく先である「安楽な死」の条件は、死にゆく人も、家族や医療者、介護者など周囲の人たちも共に「安楽」かどうかにかかっているのだ。
いまは健康長寿ばかり喧伝するから、みんな苦しい思いをするのだ。
認知症や寝たきりの人を否定しない、差別しないことこそが本来の社会のありようだと考えている。
コメント;
名郷先生は、結構若い時からEBM(Evidence-Based Medicine:科学的根拠に基づく医療)をはじめ多くの医療情報を発信して来られた方です。
日頃から多くの講演や執筆をこなし、バイタリティー溢れる活躍に瞠目していました。
老人医療や在宅医療で名を成した先生の中には、「ちょっとキナ臭いな」と思わせる先生も多い中、名郷先生は本物だなと感じさせる内容で一気に読ませていただきました。
認知症の肉親をかかえておられる方にも是非読んでいただきたいと思っています。